ちりめんじゃこの命

仮想のアドレナリン

【エッセイ】人差し指のゆうちゃん

この記事はちりいのアドベントカレンダーの5日目の記事です。

 


 

この場をお借りして、私自身の小学生時代の思い出を書くことを、許してほしい。

 

瞬足を履いていました。



皆さんの小学生時代を思い出してほしい。当時の自分たちが、休み時間にどのようにして過ごしていたのかを。クラスメートを誘ってグラウンドでサッカーをしていた方も居れば、図書室で静かに本を読んでいた方も居るだろう。落ちてる木の枝を拾ってグラウンドにでっかいウンチを書いたって良い。

 

当時の私は自由帳に絵を描くことが好きで、同じく絵を描くことが好きな子たちと、誰が描いた女の子が一番プリティなのか、日々議論していた。あるいは、クラスメートに頼まれて、視聴覚室に落ちているビーズを集め献上していた。小学〇年生の私は自身のその姿をボランティアと称していたが、当のクラスメートは私をパシリと呼んでいた。認識のズレを感じるぜ。

 

小学生あるあるなのかどうかは分からないが、うちのクラスでは突然何かが流行るということが度々あった。あるときは漫画、あるときは替え歌、あるときは何かしらの遊び。そういった何かを皆がこぞってやり始めるという状況が、何回か見られた。どちらかというと、私もその流行りに乗っかる方であった。

 

ちなみに、上に書いた「視聴覚室に落ちているビーズを拾うという行為」もクラスで流行っていた。「原因は不明だが、視聴覚室にやたら細かいビーズが落ちている」ということがクラス内で噂になり、いつの間にかたくさん拾った奴が一番偉いということになったのだ。それで、一番偉くなりたいクラスメートが私に頼んだってわけ。この場合より偉いのは実際に拾った私なのだが、双方そのことに気づいていなかった。

 

 

あるとき、紙でできた指輪を身につける子たちが増えてきた。自由帳に色鉛筆で描いたものを切り取ったオリジナリティあふれる指輪だ。流行りに乗っかる当時の私も例外ではなく、紙の指輪を身に着けていた。

 

しばらくは周りと同じように紙指輪を身に着けていたのだが、他の物も指に身に付けたくなった。

 

 



というわけで、指輪の代わりに幽霊をぶら下げることにした。名付けて「幽霊のゆうちゃん」だ。幽霊の幽から取って幽ちゃんってわけ。

 

なんで幽霊かっていうと、そのとき図書室で怪談についてまとめた本をよく借りていたことが影響していると思う。読みながら、幽霊がもし近くに居たら何を話そうかなってことを考えていたような気がする。自分が幽霊と対等に話せると思い上がっている小学生は、幽霊と会話するという細やかな夢を叶えたかったのだろうか。この頃は、出会う者全てと友達になれると信じていたからか。

 

私は肌身離さずゆうちゃんと一緒に居た。ごめん、ちょっと誇張した。お風呂のときは流石に洗面台に置いていた。ただそれ以外のときは、ずっとゆうちゃんは人差し指に居た。あっ待って、テストの時もカンニングになるといけないから、外していた。

 

私からゆうちゃんに話しかけることもなく、ゆうちゃんからも何か言われることもないから、会話が成立することはなかった。それでも、嫌いだった漢字の書き取りも体育の授業の鉄棒も、いつもニコニコしているゆうちゃんを見ると、なんだかホッとした。

 

私は当時の担任の先生と喋ることが好きだった。休み時間になるとクラスメート数人で先生を取り囲み、とりとめのない話をした。当時の担任は肩凝りが酷いとよく漏らしていたので、私達は交互で肩を叩いた。

 

 

 

 

また、トイレから出たときや給食前なんかには手を洗いに行くのだが、うっかりゆうちゃんを外し忘れることがあった。

 

 



 

 

そんなハプニングもあったことから、定期的にゆうちゃんは別のゆうちゃんになった。水と摩擦でよれよれになった歴代のゆうちゃんは、お道具箱の片隅に押し込んでいた。それでも、本の中の幽霊は出会う人を都度ビビらせてるのだから、多少の怪我では消滅しないと、当時の私は考えていた。幽霊最強説である。

 

だから、ゆうちゃんの顔はいつも同じ、表情も半月型の口でニコニコ笑顔だった。

 

こうして、毎日指に幽霊を身に付けているものだから、指輪を身に付けていたクラスメートの中にも、真似をして幽霊を身に付ける子が増え始めた。私が指輪を真似したように、それを見た誰かも幽霊を真似をするのだ。つまり、ゆうちゃん大量発生である。

 

 

 

 

みんな、色々なゆうちゃんを身に付けた。私の指には、き○りん☆レボリューションの月島き○りちゃんのような華やかでキラキラした目をしたゆうちゃんが居るが、ド○ゴンボールのベジ○タのようにキリッとした顔つきのゆうちゃんも居た。「ライオンの幽霊が居たら面白いやん」と言いながら、ふさふさした毛並みのゆうちゃんを爆誕させる者も居た。

 

それぞれ思い思いのゆうちゃんを作り愛でていたが、何故かみんなゆうちゃんと呼んでいた。ライオンのゆうちゃんだけは、ライオンゆうちゃんって呼ばれていた。

 

ゆうちゃんは、クラスの一部でちょっとしたブームになった。休憩時間には互いのゆうちゃんを出会わせたり、お互いのゆうちゃんを一時的に交換したりした。全部の指にゆうちゃんを身に付けている猛者も居た。ゆうちゃんを量産し、絵を描くのが得意ではない子に配っている業者の方も居た。あ、そういえば視聴覚室に落ちてたビーズで着飾られたゆうちゃんも居たわ。

 

ある日、朝のホームルームで、担任の先生からゆうちゃんについて言及があった。みんなが仲良く遊んでいるのは素敵なことだが、ダメなことが1つあるらしい。

 

 

 



 

教室の至るところに、無数のゆうちゃんが落ちていたことだ。何かの拍子にゆうちゃんが千切れ落ち、そのまま放置されたのだろう。そういったゆうちゃん達が箒で教室の角に追いやられ、埃と消しクズと混じり合い1つの塊になっていた。

 

そして、教室内だけでは留まらず、廊下、図書室、昇降口、体育館など色々なところにゆうちゃんは落ちていた。らしい。流しに落ちていたゆうちゃん達に至っては、水分を含んでは乾き、含んでは乾き、それらを繰り返してひどくヨレッヨレになっていたのだとか。

 

捨てたいものはそのへんに捨てずに、ゴミ箱へ捨てること。自分達がせっかく作ったものをぞんざいに扱わないこと。それができないなら、指に何かを巻き付けることを禁止する。先生はそう厳しく注意した。

 

私達は、ゆうちゃんを禁止されるのは困る、反省しよう気を付けようと呼び掛け合った。散乱したゆうちゃんの中には、私が寝食を共にしたゆうちゃんも居るかもしれない。マジで反省である。

 

その後もしばらくは、ゆうちゃんと一緒に生活してきた。だが、先生から注意をされたことで、気まずさのようなものを感じるようになったのか、みんなじょじょにゆうちゃんを外す時間が長くなってきた。社会に流行り廃りがあるように、この教室でも徐々にゆうちゃんの存在感が薄くなっていた。

 

誰かが「最近、みんなゆうちゃん持ってへんやん!」と休み時間に言い出した。ゆうちゃんのことを忘れかけてる子も出てきた頃だった。

 

 

 



 

私達は、ゆうちゃんのお墓をロッカーの上に作った。例にも漏れず、自由帳を切って折って作ったものである。このお墓には、私達の生活をより楽しいものにしてくれた感謝の気持ちが込められている。

 

「ゆうちゃんのお墓を作る」という節目のイベントがあったからか、ゆうちゃんはおろか指に何かを巻き付けるという行為すら、見かけなくなった。

 

社会人になってからゆうちゃんを思い出す頻度は多くない。だが大人になった今では、ヒ○ノシスマイクのBad A○s Templeのリングライトを指に装着し、血気盛んに振っている。指に何かを装着し愛でるマインドは、今も生きている。そのオリジンが、ゆうちゃんなのかもしれない。

 

 

 

 

 

私が今回ゆうちゃんのことを書いたのは、理由がある。

 

当時の音楽の先生が、産休だったか病休だったか記憶が曖昧だが、しばらく休むことになった。その代わりとして来た先生の最初の授業で、一人一人自己紹介をすることになったのだ。

 

新しい音楽の先生は「名前と特技を言ってね」とみんなに伝えた。奇を衒ったことを言いたかった私は、考えた。そして、その頃の私は、自分が始めた幽霊との生活をクラスメートが真似をしていることに、すっかり気分を良くしていた。

 

 

 



 

結果、「ブームを作ることが得意です」と言い放ってしまった。たかだか1回、それも教室内の出来事なのに、思い上がりも良いところである。

 

先生とクラスメートのリアクションがどうだったか、あまり覚えていない。先生が「え?」って小声で聞き返した気がする。あ、思い出さない方が良かったかもしれない。なんかめちゃくちゃ恥ずかしくなってきたので。

 

私はそのときのことを思い出して、今でも大きな声を出してかき消したくなる。思い上がったこと、音楽の先生を困惑させてしまったことがマジで恥ずかしい。

 

だから、せめて記事のネタにして恥ずかしさごと昇華してやろうと目論んだわけだ。 皆さんも、何か変わったことを言ってやろうと思ったときは、よく考えてからにしましょう。

 

 

 

 

 

著者:すだち

八方塞がり