ちりめんじゃこの命

仮想のアドレナリン

即興のアート

 

即興のアート。例えば、ライブペイントなどの、その場のグルーヴに身を任せて作品を作る催し。

正直なところ、私は即興というものをかなり舐めていた。裏でみっちり頑張って作ったやつの方がいいに決まっている。

即興をするのは、クオリティの低さを隠すためでは?と疑惑の眼差しさえ向けていた。

 

だかそれも、本物の即興のアートと出会った、あの日までの話だ。

 

大学生の時、周りに一人暮らしをしているのが自分だけで、自由を求めて友達がよく遊びにきていた。

その日は、友達と映画でも観ようとなって、駅前のTSUTAYAに行った。よく分からんミュージカル映画を借りた気がする。

 

その帰り道、もう家が見えているという時。

友達が、「これはもう漏れる! 立ちション!」と、ジッパーを下ろし始めた。

私は、「家すぐそこだから!」と言って制したが、その申し出は受理されず、友達は放尿を始めた。

そして彼は放尿中、無限の軌道(♾←コレ)でちんちんを振り回しだした。

 

「ちょっと!跳ねるって!」

「ダハハ、ふ〜スッキリした」

 

「もっと申し訳なさそうにやってよ」

「おい!おいおい!見ろよこれ!」

 

「ヤダよ。なんで見なきゃなんないの」

「いいから見ろって!」

 

仕方なしに友達のしょんべん跡を見てみると、完璧な膣が出来ていた。保険の教科書で見た、あの膣が。

あろうことか、無限のちんちん軌道が完璧な膣を生み出した。

 

私は興奮しながら、「写真を撮ろう!ちゃんと残そう!」と友達に言ったが、「これは俺とお前だけの2人の膣にしよう。目に焼き付けて、写真には残さない」と断られた。

今考えると、しょんべん跡を写真に撮られたくなかっただけだな。と分かるが、当時はその真っ直ぐな目に気圧された。

今も昔も、スマホの写真フォルダに完璧な膣は存在しない。

 

でも、それで正解だと思う。

私と友達だけの膣。あの空間にいた人にしか、その凄さは分からない。

次の日、大学に向かう道のりで、友達のしょんべん跡を覗きにいったが、完璧な膣は跡形もなく消えていた。

 

これぞまさに即興のアート。

叶うのならもう一度見たい。一日だけ過去に戻れるなら、完璧な膣の日にしよう。

 

 

 

 

……違うか。戻れるなら寿司とか食った日に戻ろう。

 

 

著者:波多野

地面に咲く